医道の日本 737号(平成173月号)2005年より

 

経穴の国際標準化の意義

第二次日本経穴委員会委員長

筑波技術大学鍼灸学科教授

形井秀一

 

 

1.はじめに... 1

2.依拠する古典の違いで経穴の位置がずれていた... 2

3.ズレによって、臨床上、効果に違いがあるのではないか... 3

4.いま、どうして、経穴の標準化が必要なのか... 3

5.朝日の新聞記事は鍼灸にマイナスか... 5

6.東洋医学の発展に欠かせない国家の役割... 5

7.文献・資料... 6

 

1.はじめに

 2005110日付の朝日新聞朝刊1)の一面に、経穴の国際標準化の動きと日中韓で位置がズレていた経穴が92穴あったことが報じられた。

 このニュースの主眼は、鍼灸が急速に欧米にも広がりつつある中で、その用語や療法が、国際的に標準化されようとしているという報道であったと考えられる。しかし、経穴の位置がズレていたという表現は、治療効果のない経穴がこれまで使われていたのではないかという疑問と不安を少なからず生じさせた。患者の疑問もさることながら、鍼灸師サイドにも、新聞記事をマイナスのイメージととらえた向きもあったようである。朝日新聞が意図的に日中韓の相違をクローズアップしたり、ズレをことさら強調しているのは何か他の意図があるのではないかと深読みするものから、悪意が秘められていると指摘するものまで様々である。もちろん、鍼灸がよく知られるチャンスとなったと前向きに考える鍼灸師もいる。事実、鍼灸の話題が新聞の一面トップに取り上げられたのは、1988年の法改正の時に、毎日新聞2)に「鍼灸師、準医師に」という記事が載って以来であった。その上、その後、マスコミで鍼灸がたびたび話題になったという意味では、掲載の反響は非常に大きかったといえよう。

 第二次日本経穴委員会は、これまで、経穴国際標準化の動きについては、『医道の日本』誌上で、第2回と第3回の「非公式会議の報告3−5)」、経穴委員会の作業部会からの毎月の「便り6)」や編集部作成の「ニュース」、また、『全日本鍼灸学会7)、8)』誌上でも、経穴委員会報告として、進行状況をできるだけタイムリーに鍼灸界に報告してきたつもりであった。しかし、今回の報道は、一般家庭向けのニュース媒体である朝日新聞によるものだったので、一般の方々に直接伝えられた。その結果、単に鍼灸が話題になっただけでなく、先に述べたように、患者からの疑問や不安の声が、直接臨床家に届き、日本中の治療院で経穴のことが話題になったようである。さらに、鍼や灸や手技がどうして効くのかという質問に発展したケースも少なからずあっただろう。その場合、おそらく、個々の先生方は、学識と経験を踏まえて、患者が納得できる説明をしておられることと思う。また、患者と治療者間でそのような会話があることは非常に喜ばしいことであろうと私は考える。

 しかし、幾人かの治療家から、経穴の国際標準化のために結成された第二次日本経穴委員会の立場として、今回の記事について、どのように考えているか質問を受けたことから、会の委員長である筆者が、責任上、これらの疑問点について、個人的ではあるが、見解を述べたいと考える。

 

2.依拠する古典の違いで経穴の位置がずれていた

 WHOで進めている経穴の国際標準化は、日中韓の3カ国の代表が、現在、その案を作成している段階である。200310月の第1回のマニラでの会議に続き、20043月に第2回(北京)、10月に第3回(京都)が持たれ、次回は20055月初め、韓国・大田(テジョン)で開催の予定である。

まず、北京で確認された検討方法の原則は、経穴に関する古典である『黄帝明堂経』、『甲乙経』、『千金方・明堂』『銅人腧穴鍼灸図経』の4文献を基準とし、それが当てはめ難い場合はその後の変遷等も考慮するというもので、現時点で経穴の位置を決定する方法としては、現実的な原則である。

 この原則の下に検討を行った結果、3カ国で位置がずれていた経穴が92あったわけだが、その理由の第一は、各国で使用される経穴の位置を決めるのに依拠した古典の違いによる。約2000年前に東洋医学の原典がまとめられてからも、中国では、経穴の本の刊行や時の政府により国定とされた本の発行、また、経穴人形の鋳造などが、繰り返された。そうして、2000年間には、数個の名前が付いたり、2〜3種の異なる位置が与えられてしまった経穴も少なからずある。一番新しい中国国定の経穴の本は1990年に発刊されたが、その後いまだに、経穴の論争は中国国内でも盛んに行われているようである9)。つまり、経穴の名称や位置は、2000年間論争が繰り返され、変更や修正が行われ続けたと言って良いかもしれない。このようなわけで、どの古典を採用するかで、経穴の位置が異なる場合が生じる。

また、鍼灸が伝えられた国においてツボが伝承されていく過程で、当然その国の文化や思想に影響を受けたであろう。その国に受け入れられ、国の医学になるということは、当然その歴史の途上でその国独自に変化を生じるのであり、その結果、経穴の名称や位置が変わってしまうことも避けられないことであっただろう。

 このように、三カ国間の違いのように見えても、結局は、(中国で、あるいは伝播先の国で書かれた)どの古典を採用したかの違いなのである。

 ところで、各国の違いが統一されることになると、国家試験は大丈夫かという声が学生の間で上がっていると聞いた。国家試験は、その学生が学んだ時に使用されていた教科書の範囲から出されることが原則であるから、改訂された教科書が使用されるまでは、それまでの本の内容から問題が作成されるのが原則であると言うことを知っていれば安心であろう。

 さらに、これまでと異なる位置が定められたら、今まで使用していた経穴の位置は効果がないということになるのではとも、訊かれる。確認しておきたいのは、経穴の位置を検討しているのは、あくまで理論的な位置についてのことである。臨床上どの部位が効くから、その位置を経穴とするといった原則を今回採用していない。古典に書かれていることを基準として部位を決定するということである。

 

3.ズレによって、臨床上、効果に違いがあるのではないか

しかし、理論的検討であるとは言え、臨床の立場からも疑問に全く触れない訳にはいかないであろう。

臨床上、ズレたことと臨床的効果の関係をどのように考えればよいのだろうか。ある経穴は、東洋医学の歴史の2000年間のいずれかの時期に、それ以前の位置からズレた。しかし、その経穴は、ズレた時代から後、何百年も使用されているし、また、治療家はより効果の高い経穴を求め、高い治療技術を研鑚し続けている。臨床的な効果は、これまでは、治療を受けた患者がその結果に満足するという形で認められていたのであり、そのことなくして東洋医学が2000年間継承さるはずはない。

また、特に日本の治療家は、患者の状態に合わせて教科書のツボの位置周囲でより適切な部位を探って、そこに治療する場合が多い。多少ツボがずれていても意に介さないという方も多いかも知れない。

このように考えると、臨床上、これまで使用されて来たツボの位置を使用して治療することで基本的には問題ないと考えて差し支えない。

しかし、経穴の位置は、現代的な手法で、実験的に検証をし、実証されている訳ではないことは、ご承知の通りである。ズレていた経穴は、そのどれもが同じくらい効果があるのか、そうでないのかを比較する必要があるが、それは、今後の検討課題であり、我々に残された宿題である。だがおそらく、そのような検討をしても、位置のズレは、同一筋内、同一神経支配領域、同一デルマトーム内の場合が多いので、幾つかの経穴を除いて、現代医学的に考えると効果の差はほとんどないことが予測されるが、それは今後の検討である。ともかく、まず古典を基準にして位置を決め、さらに、現代の方法でその経穴のより確からしさを検証するという手順を踏むというのが、今回の進め方である。

 

4.いま、どうして、経穴の標準化が必要なのか

 なぜ、いま、経穴の位置を標準化しなければならないのか、という疑問を持った方もいるようだ。この疑問ももっともである。

しかし、実は今、WHO西太平洋事務局(WPRO)により国際的な標準化が行われようとしているのは経穴の位置だけではない。鍼灸を含む東洋医学の約5000の用語や、東洋医学の臨床のガイドライン作りも企画され、同時並行してこれらの委員会も進行している。東洋医学の全体の標準化が進められているが、ではなぜ、今、それが求められているのか。

まず、鍼灸の内的要因から考えてみると、70年代以降の世界的な鍼の有効性や臨床効果の研究が20世紀の末までに一定の成果を出したことに遠因がある。鍼の効果が幾つかの疾患に対して認められたことは、1997年に米国健康局(NIH)が発表した、積極的に保険で鍼を行うよう勧告する「鍼の合意声明10)」や、2000年に英国医師会(BMA)が、医学教育での鍼の教育の必要性を指摘したレポート11)などを見ると了解される。また、日本国内では、2001年に、医学教育のコア・カリ・キュラムの中で「漢方が概説できる」という項目が導入される12)など、鍼灸のみならず、東洋医学を認め、社会の中で、一定の役割を担うよう位置づけようとする動きが国内外で生まれてきた。

一方、外的要因としては、90年代には、サプリメントなど西洋医学の補完・代替の医療が求められ、西洋医学の現実的な対応として統合医療が求められるようになって来たことが挙げられる。その筆頭が鍼灸と目され、さらに、それに漢方薬が続くと予測されるなど、簡単にいってしまえば、今、世界から東洋医学に熱い視線が注がれているのである。これらの動きは、これからの東洋医学が、21世紀の人々の健康に大いに役立つことが期待される状況であることを意味すると考えられる。

このような鍼灸を取り巻く内外の要因が、国際的な標準化の必要性を迫る環境としてある。

さらに、東洋医学がグローバル化する段階で必要なことは、正しい評価に基づいた東洋医学を適切な方法で教育することである。そのためには、鍼灸、手技、漢方などの東洋医学の効果をきちんと評価し、それに基づいた教育や臨床を行うことである。東洋医学はこれまでそれを医療として受け入れてくれた多くの人々の病を改善し、それらの人々に支えられ今日に至った。それは、それらの人々に福音であった。しかし、東洋医学がその有効性を現代の科学でさらに明確にするならば、それは、現代および未来の人々に更なる福音をもたらすであろう。

そのためには、各国や地域で異なる表現や方法を標準化し、まず、共通の概念で語り合い、問題点を整理し、有効性を明確にする必要がある。

これが、経穴の位置や用語を標準化し、ガイドラインを作成する必要性の理由である。

 鍼灸は、最早、一国内のみで完結するものではなく、ましてや一国内でそれぞれに主張を持つ一派や一グループの中で完結するものではなくなってきたことを私たちは否応なしに認めざるを得ないであろう。もちろん、それは、一国や一派や一グループの存在に意味がないのではなく、それぞれの個性を持ちつつも、常に世界の鍼灸の考え方や療法や方向性、また、制度などとどのような関係にあるのかを意識しなければならないと言うことである。世界と自己との距離を測りつつ、自分の特徴に気づいて、どのような方向性を良しとするかを明確にすると言うことである。

 これは、いみじくも、ある経穴が標準の位置からどれくらい離れているということを知りつつ使用すること(すなわち標準化すること)と,自分が日々行っている鍼灸が世界の鍼灸とどの程度違いがあるのかを意識しつつ治療を行おうとすること(すなわち鍼灸の国際標準を作り、その中に明確に日本の鍼灸を位置付けること)とが、同じであることを意味する。

 

5.朝日の新聞記事は鍼灸にマイナスか

 さて、治療者と患者の抱いた疑問と不安について触れて来たが、それにしても、このような記事が書かれたことはマイナスで、鍼灸に対する不安を増大することであったのだろうか。こんな記事は書かれない方が良かったのだろうか。

 だが、考えて見ると、各国間で異なっていたことを知っていたかどうかは別として、経穴の位置が古典により異なることは、古典を少し勉強すればすぐに分かることだし、学生時代にそのような疑問と不安を学習と実習により克服した人が国家試験に合格し、鍼灸師免許を取得して臨床を行っているのではないのだろうか。

 患者の発する経穴に関する疑問くらいは、患者の抱える多岐に亘る身体の問題と複雑な精神の問題を受け止め、患者に満足してもらえる治療を提供できる治療家であれば、とうの昔に解決済みであろう。

 鍼灸や手技が21世紀に本当に人々の健康に役立つ医療になるためには、2000年前の言葉で語るのではなく、現代の言葉で語る必要がある。鍼灸を知らない患者を安心させるには、患者が安心する方法を見出して、治療する必要がある。東洋医学の思想や哲学が分かり難いならば、現代の人々に理解し易い表現に翻訳し直す必要がある。 

 それらの一つ一つは、別々のものに見えるが、実は同じものである。それは、何のために鍼灸師をしているのかと言う問いの答えでもある。鍼灸で何を実現したいと考えているかと言うことである。

 治療家個々のそのような考えを真摯に患者に返していく過程で、今回の記事から派生した様々な疑問と不安は解消され、むしろ、患者の鍼灸(もちろん、広くは東洋医学)に対する理解を深めることになったに違いない。

 日本の鍼灸師界が、グローバル化を推し進めながら、一方で、日本の鍼灸の良さをも発展させる方向性を見出す機会になるだろうと、私は楽観的に期待している。

 

6.東洋医学の発展に欠かせない国家の役割

東洋医学が発展することは、西洋医学の病の視点に、新たな眼差しを加味することになる。それは、健康と病、生と死の考え方、社会の発展と生活の質、物が豊富であることと心が満足することの意味、等々……、現代が忘れてしまっている視点をもう一度考えさせ、医療が決してこれまで通りの一面のみのものではないことに気づかされるであろう。また、患者の治療法の選択肢が増すことも喜ばしいことである。

経穴の位置のズレは、歴史の変遷と文化の違いがもたらした結果であるが、それを現代の科学の目で再検討する必要がある。それには、@解剖・生理学的な、あるいはA厳密な臨床試験を踏まえ、経穴の位置や効果の適応範囲を検討することなどが求められるだろう。

 今回の経穴部位の標準化はその第一歩である。標準化し、再検討し、より良い治療効果を検証していくための重要な再点検、標準化である。

しかし残念ながら、中国、韓国や米国などに比べて、日本では、東洋医学への国家レベルでの取り組みは遅れている。中国や韓国には政府内に東洋医学の担当部署が設置され、国際的な動きに対応することができるようになっている。また、東洋医学の教育・研究に関する必要な予算配分が行われているし、西洋医学教育と同等の教育を課し、同等の社会的地位を国として与えている。日本は、この点において、非常に遅れている。東洋医学の研究に充分な予算を組み、必要な社会的役割を担えるように適切な制度化を行うなど、政府は東洋医学発展のために本腰を入れなければならない。私達はそのような要望を強く政府に示す必要があるし、その実現のために私たち自身が努力する必要があろう。

 

7.文献・資料

1)       朝日新聞、欧米にも普及 鍼灸・マッサージ、治療のツボ日中韓で差、92ヶ所、夏までに統一、2005110日付、一面

2)       毎日新聞、1998516日付朝刊、一面

3)       特別インタビュー、WHOの国際標準経穴・361穴の位置はどこまで決まったか、医道の日本、2004;(727:115-122.

4)       形井秀一、篠原昭二、浦山久嗣、香取俊光、小林健二、河原保祐、坂口俊二、経穴標準化の作業から見えてくるもの―第二次日本経穴委員会の経穴標準化作業の活動が始まって―、医道の日本、2004;(731):12-21

5)       形井秀一、篠原昭二、浦山久嗣、小林健二、河原保祐、坂口俊二、第3回国際経穴部位標準化に関する非公式諮問会議報告、医道の日本、2004;(734):137-49

6)       第二次日本経穴委員会作業部会委員、経穴委員会便り@〜H、医道の日本、2004;(8月号)〜2005;(4月号).

7)       形井秀一、「第2回 経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議」の報告、全日本鍼灸学会雑誌、200454(2)191-3

8)       形井秀一、篠原昭二、浦山久嗣、香取俊光、小林健二、河原保祐、坂口俊二、第3回国際経穴部位標準化に関する非公式諮問会議報告、全日本鍼灸学会雑誌、200454(4)785-8

9)       この点については、『毎日ライフ』の谷田伸之氏から、その後の論争に関する論文を御紹介いただいた。@中国針灸、19925期:45-6.A上海針灸雑誌、19934期:179-80.B中国針灸200412期:881-2

10)川喜多健司ほか訳.米国国立研究所(NIH)合意形成声明書.医道の日本;(646):16-25.1998

11)British Medical Association. Acupuncture: efficacy, safety and practice. Amsterdam. Harwood Academic Publishers.2000.

12)医学における教育プログラム研究・開発事業委員会、医学教育モデル・コア・カリキュラム;2 基本的診療知識 1)薬物治療の基本原理 △17)和漢薬を概説できる。20013