全日本鍼灸学会誌、2005年第55巻5号
「全日本鍼灸学会研究部会経穴部位標準化委員会ワークショップ報告
WHO経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議の経緯と検討内容について」より抜粋
第二次日本経穴委員会作業部会の歩み
第二次日本経穴委員会作業部会委員
関西鍼灸大学講師
坂口俊二
本会議は、2002年2月にWFAS(World Federation of Acupuncture-Moxibustion Societies)終身名誉会長の王雪苔氏が同副会長の黒須幸男氏に本会議への参加を打診したことに始まる。
その後、黒須氏はその対応を(社)全日本鍼灸学会の矢野 忠氏(現会長)に一任した。矢野氏は、(社)全日本鍼灸学会、(社)日本鍼灸師会、(社)東洋療法学校協会、日本理療科教員連盟、(社)日本東洋医学会に本会議の趣旨説明とあわせて参加を打診し、各団体から同意が得られた。
そして翌年、WPRO(World Health Organization Western Pacific Regional Office)主催で第1回本会議がマニラで開催され(2003年10月31日-11月1日)、WPROから崔昇勲氏、中国から王雪苔氏、黄龍祥氏、韓国から姜成吉氏、金容奭氏、日本からは黒須幸男氏、矢野 忠氏、オブザーバーとして津谷喜一郎氏が参加し、経穴部位標準化のガイドラインについて協議された。
翌年、第2回本会議が北京で開催され(2004年3月17日-18日)、WPROから崔昇勲氏、中国から王雪苔氏、黄龍祥氏、晋志高氏、李鼎氏、韓国から姜成吉氏、金容奭氏、李惠貞氏、そして日本から、形井秀一氏、篠原昭二氏、小林健二氏、浦山久嗣氏、浦山きか氏が参加し、経穴部位国際標準化の具体的作業に向けてのルール作りが協議され、いわゆる「北京合意」がなされた。
これには、1. 歴史と現実の両方を尊重する「respect history and real」の原則、2. 古典として『黄帝明堂経』『千金方・甄権明堂』『銅人腧穴鍼灸図経』『鍼灸甲乙経』を選定、3.骨度基準とランドマークの設定、4.基準穴の設定、などが盛り込まれた。
北京合意を受け、日本では「第二次日本経穴委員会」運営委員会が発足(2004年4月25日)し、第1回会議が東京で開催された。
参加団体は、(社)全日本鍼灸学会(矢野 忠氏・形井秀一氏)、(社)日本鍼灸師会(濱田幸男氏)、(社)東洋療法学校協会(川本正純氏)、日本理療科教員連盟(吉川惠士氏)、(社)日本東洋医学会(石野尚吾氏)で、オブザーバー参加は日本伝統鍼灸学会、(中)日本東洋医学系物理療法学会、(株)医道の日本社であった。この会議では、「第二次日本経穴委員会」の正式な立ち上げとともに、運営の主体は(社)全日本鍼灸学会とすること、上記各団体から学識経験者や研究者を参加させること(作業部会の立ち上げ)、活動資金の予算化などが検討された。
これを受け、「第二次日本経穴委員会」作業部会の第1回会議が東京で開催された(2004年5月23日)。
委員長を形井秀一氏、副委員長を篠原昭二氏として、(社)日本鍼灸師会から河原保裕氏、(社)東洋療法学校協会から坂口俊二氏、日本理療科教員連盟から香取俊光氏、(社)日本東洋医学会から小曽戸洋氏、委員長推薦として小林健二氏、浦山久嗣氏がそれぞれ選出され、経穴部位国際標準化に向けての日本案作りが開始された。
作業はまず、日・中・韓3か国の経穴部位を確認することから始まった。その際の比較対象は、日本の(社)東洋療法学校協会の教科書、日本理療科教員連盟の教科書および第一次経穴委員会が編集した『標準経穴学』、中国のGB統一テキスト、韓国の統一テキストとした。
特に、日本では、中国、韓国のように統一テキストが存在しないため、作業はまず日本の教科書をもとに統一の日本案を作成し、それを中国、韓国のテキストと比較することから始めた。
2004年の5月23日以降10月11日までに7回の作業部会を開催し、各国の部位と古典文献との照合により日本側の見解として、361経穴中3か国で相違要検討穴(非同意穴)92穴を抽出した。
第3回経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議が京都(明治鍼灸大学)で開催された(2004年10月12-14日)。
WPROから崔昇勲氏、Nigel Wiseman氏の参加のもと、中国から王雪苔氏、黄龍祥氏、司徒稳氏、韓国から姜成吉氏、金容奭氏、李惠貞氏、日本から形井秀一氏、浦山久嗣氏、小林健二氏、オブザーバーとして篠原昭二氏、河原保祐氏、坂口俊二氏が参加した。本会議では非同意穴92穴について、一穴ずつ各国の意見とそれに対する議論を重ねたが、表に示すように15穴については部位そのものの再検討を行うこととなった。
【表1】第3回経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議での非同意経穴の一覧
手太陰肺経(5) 天府 侠白 尺沢 太淵 魚際
手陽明大腸経(6) 合谷 温溜 曲池 肘髎 臂臑 肩髃
足陽明胃経(16) 頬車 頭維 人迎 不容 承満 梁門 水道 帰来
気衝 髀関 伏兎 犢鼻 三里 豊隆 解谿 衝陽
足太陰脾経(5) 大都 太白 公孫 箕門 衝門
手少陰心経(1) 少海
手太陽小腸経(1) 天窓
足太陽膀胱経(12) 睛明 眉衝 曲差 絡却 天柱 殷門 委陽 秩辺 飛揚※
僕参 金門 京門
足少陰腎経(6) 湧泉 然谷 照海 水泉 交信 築賓
手厥陰心包経(4) 天泉 曲沢 労宮 中衝
手少陽三焦経(4) 中渚 四瀆 肩髎 瘈脈
足少陽胆経(22) 頷厭 懸釐 曲鬢 懸顱 天衝 浮白 完骨 本神 目窓
正営 風池 日月 帯脈 五枢 維道 居髎 環跳 風市
中瀆 膝腰関 陽交 外丘
足厥陰肝経(6) 膝関 曲泉 陰包 五里 陰廉 期門
督脈経(4) 長強 瘂門 神庭 水溝
:「飛陽」の「陽」は、1989年のジュネーヴ会議で「揚」の字に統一されている。
:□で囲んだ経穴については、表現ではなく部位の再検討を行うこととした。
京都会議後、作業部会では2004年12月から2005年2月にかけて3回の会合を開催し、非同意15穴の部位・取穴の再検討および3か国で同意の得られている292穴の部位・取穴法の確認作業を行った。
その案を持って形井委員長が3か国の代表者のみで開催される特別委員会(北京、2005年2月21〜25日)に臨み、第4回経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議の事前調整が行われた。
第4回経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議が大田(韓国東洋医学研究所)で開催された(2005年4月25日-27日)。
WPROから崔昇勲氏、中国から王雪苔氏、黄龍祥氏、晋志高氏、呉中朝氏、オブザーバーとして譚源生氏、韓国から姜成吉氏、金容奭氏、李惠貞氏、具成泰氏、オブザーバーとして朴希浚氏、李相勲氏、任允卿氏、宋昊燮氏、日本から形井秀一氏、篠原昭二氏、浦山久嗣氏、小林健二氏、通訳として斉藤宗則氏、オブザーバーとして香取俊光氏、河原保祐氏、坂口俊二氏が参加した。本会議では、事前の特別委員会などの調整を受け、非同意再検討穴18穴、同意穴表現再検討穴16穴、中国から新たに問題提起のあった24穴中8穴の計42穴について検討した(表2)。
【表2】第4回経穴部位国際標準化に関する非公式諮問会議での検討経穴一覧
@3か国で部位の同意が得られていない18穴
迎香 気衝 箕門 衝門 労宮 中衝 瘈脈 天衝 浮白 中封 蠡溝 中都
膝関 水溝 承光 通天 玉枕 脳空
A3か国で部位は一致、表現に検討が必要な16穴
天府 侠白 地倉 温溜 湧泉 頷厭 顱息 目窓 正営 環跳 風市 中瀆
陰包 足五里 陰廉 急脈
B3か国で部位一致、中国側が表現の再検討を求めた24穴
肘髎 足三里 上巨虚 条口 下巨虚 解谿 衝陽 睛明 委陽 築賓 四瀆
天髎 天牖 曲鬢 肩井 輒筋 五枢 太衝 璇璣 聴宮 消濼 臑会 京門 維道
表内の@については18穴中7穴(迎香、水溝、気衝、労宮、中衝、膝関)が再保留となった。各穴の保留内容を列記すると、迎香は、日本・韓国は「鼻翼下縁」、中国は「鼻翼外縁中点」で相違。水溝は日本・韓国は「人中の中央」、中国は「人中溝の上1/3と中1/3の交点」と『玉龍経』の説を強く主張している。気衝と衝門は、鼠径部の上か下か、動脈拍動部の内か外が、他の経穴との位置関係などで相違。労宮は、日本・中国は「第2・3中手骨間」、韓国は「第3・4中手骨間」で相違。中衝は、日本は「橈側爪甲根部」、中国・韓国は「第3指の尖端中央」で、日本では全く知られていない清代中期の顧世澄の外科書『瘍医大全』の説を強く主張した。膝関は、日本は「脛骨内側顆の下縁」、中国・韓国は「脛骨内側顆の後下方」で相違となった。
表中のAについては16穴中2穴(環跳、急脈)が再保留となった。環跳は、日本の「大転子の前」を注記として入れることを前提として、中国・韓国の「大転子の後ろ」で同意していた。しかし中国は、国際標準化部位に注記であっても、二つの取穴法が併記されることに難色を示し、議論はそのまま平行線をたどった。急脈は、@で挙げた気衝、衝門が決定していないため、再保留となった。
表中のBについては24穴中議論ができたのが肘髎から睛明までの8穴で、そのうち下巨虚は解剖学的基準が明確にならず再保留となった。
このように各国で部位が一致しない原因として、「古典の条文に問題がある」、「後代の文献を重視する」の2点があると考える。
条文の問題とは、具体的には、1. 古典の条文が特定の1箇所を示さない、2. 伝写の過程で字句が変化する、3.解釈によって説が異なる、などである。後代の文献については、『銅人腧穴鍼灸図経』およびそれ以降の文献を採用している点である。今回、再保留となった水溝や中衝はこの点に帰着している。また、条文の問題については、これこそ国際会議の場で確認し、各国の相違を埋め合わせていく必要があると考える。
以上の議論から、再保留10穴、中国から提出された再検討の残り16穴を残す結果となった。もちろん、3か国で部位について一致をみている経穴についても確認作業は必要となる。よって、今回で終了するはずであった会議は第5回目に突入することとなった。今回も事前に特別委員会(2005年8月16-19日)によって事前調整を行った上で、本会議に臨むわけであるが、そこでは今まで以上に3か国が充分コミュニケーションをとりながら、「古典や解剖学的表現に拘り過ぎない」、「臨床経験に拘り過ぎない」、「自国の面子に拘り過ぎない」という3つの「過ぎない」の原則を遵守しながら、大きな目的を失わないようにしなくてはならない。
今後は、2005年8月に北京で特別委員会を各国代表1 名の参加で開催し、ここでは同意穴の表記に絞った議論を行うこととなった。9月(27-29日)に第5回国際経穴部位標準化に関する非公式会議を日本(大阪、関西鍼灸大学)で行い、経穴部位標準化最終案を決定し、12月から2006年1月頃に第3回特別委員会を開催(場所は未定)して、英訳最終案を作成することとなった。その最終案を世界各国の学会等に検討を依頼し、各国の意見を集約して、2006年の秋頃に国際経穴部位標準化に関する公式会議を開催する予定となっている。